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おかげ踊図絵馬 水度神社蔵
(写真提供 城陽市歴史民俗資料館)
 
  【寺田村北東町が奉納した絵馬】
   城陽市寺田から東に向う、広葉樹におおわれた長い参道の奥、鴻ノ巣山のふもとに鎮座している水度(みと)神社に、多くの絵馬のなかにおかげ踊を描いた額がある。

  絵馬は、願いごとに、願いごとがかなったお礼に、神社などに奉納したもので、南山城の神社では、たくさん見かけることができるが、この「御影躍模写全図」は、文政13(1830)年閏3月に寺田村村民1200人が、おかげ詣として伊勢神宮に参拝し、10月には農業を休んで踊りを習い、11月1日に水度神社の神前で「天下泰平 五穀成就 町中安全 諸災消解」を祈って踊ったという経過を裏面に記して、天保2(1831)年正月5日に寺田村北東(きたひがし)町が奉納したものである。

  伊勢神宮への集団による参宮は室町時代から始まったが、江戸時代になると「御影参」などと呼ばれ、神仏の助け、加護をいただけるありがたい年「おかげ年」がほぼ60年の周期でめぐって来るといわれ、熱狂的な踊を伴うようになった。このおかげ踊は、文政期のおかげ参りを背景にして河内ではじまり、摂津、山城、大和など近畿一円に流行した。

  絵馬は、画家長谷川小雪が描いた。その画面は中央に床几で舞台を設け、その両側に「大神宮 寺田北東」と縫い取りをして上に作り物を飾った大きな幟(のぼり)と、「大神宮」と書いた4個の長提灯を吊した御幣(ごへい)が立てられている。舞台上には、音頭を取る女、その前に囃子()方が並び、それらを取り囲んで日の丸の扇子を手にした踊り子が踊りめぐっている。音頭取りと、三味線、笛、太鼓、鉦などの囃子方は二十九人、踊り子は109人が数えられる。記録によると踊り子は、200人を越えていたが、ここでは1つの画面にまとめて、その構成が忠実に描かれている。
  【神職の日記に書き綴られたおかげ踊】
   記録というのは、当時の水度神社の神職中嶋白檮が書き綴ってきた日記のことである。裏書は、白檮が作り、水田が筆を取ったとあって、文政13年の踊のようすが詳しく書き留められている。その1部を少し取り出してみよう。

  10月12日綺田村(現山城町)のおかげ踊がきた。なかには夫婦子どもづれもいた。14日長池宿(現城陽市)、17日水無村、20日石垣村、23日玉水宿(いずれも現井手町)から踊を掛けにきた。以後、中村、市辺村、奈嶋村、観音堂村(いずれも現城陽市)などから次々とやってきた。10月中旬から誰いうともなく綺田の踊に見習って、町々の会所で踊の練習をした。村役人と町惣代から他村に出掛けることは禁止されたが、「世界一統の流行」であって、11月1日を期して氏神へ奉納することになった。町単位の六組でくじを引いて順番を決めて、踊を競演した。近在近郷の群集で大いに賑わった。2日は村中を踊り廻った。
  【掛け踊りは風流踊の流れをくんでいた】
 
左奥に文安5(1448)年の棟札を持つ水
度神社本殿、手前中央は拝殿。踊はその前
の広場で踊られた。
 これは、寺田村からみた記録であるが、踊を掛けられたら踊り返すという、古くからの風流踊の特色をみることができると考えられている。南山城のそれぞれの地域でも、こういう掛け合いがあったのだろう。

  文政のおかげ踊絵馬は、今、全国で9面伝えられているが、京都府内では、この1面だけである。南山城では、江戸末期の絵馬や絵画が数点残されている。踊は近代に入ってからも、大正・昭和天皇の即位式に際して、盛んに踊られたものである。
城陽市史第4巻、城陽市埋蔵文化財調査報告書第22集、府有形民俗文化財登録時の調査を参考にし、城陽市歴史民俗資料館のご協力をいただきました。

 
■著者プロフィール■

昭和7年生まれ
 38年間、山城地域の小・中学校に勤め、現在、城南郷土史研究会 代表。
山背古道探検隊長。
 「木津町史」、「山城町史」などの町村史と「京都府の地名」(平凡社)、「山城国一揆」(東大出版会)、「けいはんな風土記」(同朋社)などの編集や執筆に加わってきた。
 
■バックナンバー
 @平野の勧心猿楽  F相楽郡立濃学校の創立
 A泉橋寺の地蔵石仏  G農作を折る居籠(いごもり)祭り
 B狛と平尾の精霊踊  H平等院と山城国一揆
 C正覚寺洪水供養石仏  I絵馬に描かれた近世の木津浜
 D高神社と多賀郷の人びと  J南山城村に伝わる折りの行事
 E水度神社のおかげ踊図絵馬  K和束で出会った『生活のうた』
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