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相楽郡立農林学校「畑ノ下」の校舎と実習作業
(写真提供:京都府立総合資料館)
 
  【皇太子ご成婚記念事業】
   京都府立木津高等学校は、平成13(2001)年創立100周年の年を迎えた。明治34(1901)年5月10日、今日の木津警察署のほぼ北側にあった郡会議事堂を仮校舎として開校したのが始まりであった。

  この時、相楽郡の郡会は開校の2年前に組織された。もっとも選挙権も被選挙権も財産制限があり、各町村の少数の有力者に限られてはいたが。郡長は明治32年からほぼ10年間、秋田県士族の出身である後藤善二がその任に当たった。

  後藤郡長は、相楽郡の人びとを、東部は「質朴(ぼく)温厚」、西部は「稍(やや)朴直」で「漸(ようや)ク軽薄に傾向」していると感じていた。また、当時は木津を通過する鉄道がつぎつぎと開通したころで、交通の発達に伴う人心や風俗の変化を警戒していた。

  明治33(1900)年5月10日、皇太子(のちの大正天皇)の成婚式が行われ、相楽郡では、郡会議事堂に町村長、郡会議員をはじめ郡内の有力者200人余りが集まって、官民奉賀会を催した。郡長はその席で、「今日の記念として今後、殿下に仕え奉るべき人民養成の為め、本郡に実業補習学校を設置せんことを一同に詢(はか)りたるに、満場拍手喝采を以て賛同し」たと、時の新聞が書いている。相楽郡にとっては、農業振興のための人材養成が課題であった。
  【学校の発足と発展】
   郡会も満場一致で決議をし、翌明治34年4月11日に文部大臣の許可を受けて、5月10日に開校式、同30日郡立農林学校と改称、翌年4月1日に「木津町字畑ノ下」に新校舎が落成した。当初は尋常小学校卒業生による2ヵ年修学であったが、やがて3ヵ年修学となり、ついで明治38(1905)年3月には高等小学校2ヵ年修業者を入学者とした。1907年の全国教育品共進会での1等賞受賞、1911年のロンドンにおける日英博覧会出品物の名誉大賞の受賞と、学校教育はその実を結んでいった。

  28歳で初代校長となった田辺町(現京田辺市)出身の森村弘毅は、東京農大の附属教員養成所を卒業していたが、思い切って郷里へ帰ることにした。入学志望生徒の勧誘、校舎建築をめぐる郡長と郡会の確執など、郡会書記と兼ねて学校書記となった中岡泰次郎とともに、苦労を重ねた。晩年「思い出しても感慨無量」だと「木津高同窓会報」(昭32)に語っている。

  後藤郡長は、大正5(1916)年、学校の基本財産として山林原野約1町5反を寄付した。熱い願いを持ち続けていたのである。

  大正7年9月1日、現在地の木津内田山に新校舎が完成した。
  【相楽郡立から京都府立へ】
 
現在の木津高等学校「内山田」の校舎
(写真提供:京都府立木津高等学校)
 大正10(1921)年になって、相楽郡内20町村で、郡立農林学校を中等教育機関として位置付けてほしいという請願署名が集められた。その中の「在学父兄一同」による請願趣意書に、次のような内容がある。

  「…只今デハ中等程度ノ学校ヲ卒業セネバ一人前ノ教育ヲ受ケタトハ申サレヌ様ニナリマシタ。持ツテ生レタ性能ヲ充分ニ発達サセ相当ノ人物ニ育テタイト云フノハ子ヲ持ツ凡テノ親心デアリマス。幸ニシテ同校ノ昇格ガ出来マシタナラバ近クデ中等教育ヲ受ケサセ」られ、こんなに喜ばしいことはない、と綴っている。

  大正12(1923)年4月、相楽郡立農林学校は京都府立木津農学校となった。今日の木津高等学校に至る100年という長い時間にわたって、南山城地域の人びと、とりわけ相楽郡の人びととの絆を持ち続けてきた中等教育機関としての学校は、この地ではほかに見出すことはできない。
木津町史本文篇・史料篇3、山城町史本文編・史料編、写真で見る80年のあゆみ(木津高校)、創立100周年記念同窓会誌(同上)を参考にし、京都府立総合資料館、同府立木津高等学校、久保田基男様のご協力をいただきました。

 
■著者プロフィール■

昭和7年生まれ
 38年間、山城地域の小・中学校に勤め、現在、城南郷土史研究会 代表。
山背古道探検隊長。
 「木津町史」、「山城町史」などの町村史と「京都府の地名」(平凡社)、「山城国一揆」(東大出版会)、「けいはんな風土記」(同朋社)などの編集や執筆に加わってきた。

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