南山城の各地では今年の田植えが終わりました。
これから秋の収穫に向けて、毎日の水の管理や定期的な除草、防除、追肥といった様々な仕事が待っていることでしょう。いずれも炎天下で行われることで、たいへんな苦労があります。
とくに、除草は過酷な仕事の一つと言われています。
はじめは素手で行われていましたが、次第に用具が作られました。
明治以降の水田の除草に用いられたものに、「田打車」があります。これは爪回転式除草および中耕機とも呼ぶもので、江戸時代に使用されていた「雁爪(がんづめ)」を回転式にしたものです。
写真右のものは木製の柄の部分と鉄製の爪車および枠部分からできており、浅く掘ったり、深く掘ったりの爪の角度調整も可能です。爪は鉄製の六角形の車の4カ所に長さ10pの爪が5本付いています。一番草用のもので、深く掘れるように爪が長くなっています。
写真中央の車が二つのものは二番草用のもので、爪は先端のものが長さ6p、巾2.5cm、奥のものは長さ、7.6cm、巾1.5cmです。
写真左のものは「田内車」と少し形態が異なりますが、構造は同じです。精華町で「クルマ」と呼ばれていた除草用具で、爪が7cmほどの長さで、台形をしています。二番草用のもので、一番草用のものと比べると浅い掘りとなります。
地域によって使用時期は異なりますが、概ね昭和の初めから40年代半ばまで使われていました。動力源も人力から畜力、機械と変化し、枠も木製からアルミ製へと変化していきます。
資料提供:京都府立山城郷土資料館