脱穀が終わると籾(もみ)すりで玄米にし、玄米から糠(ぬか)を取る精米と続きます。穀物の脱穀や製粉には臼と杵が用いられます。
臼には搗(つ)き臼と磨(す)り臼・挽(ひ)き臼の2系統があり、時代の移り変わりにつれて様々な形式が現れ、最近まで使われていました。
江戸時代・享保19年(1734)上棟の重要文化財伊佐家(いさけ)住宅主屋(おもや)(八幡市上津屋)の釜場の土間には唐(から)臼と石臼が置かれています。
唐(から)臼(写真下)は天秤式の杵を持つ踏み臼で、直径42p、深さは30pの石臼が土間に埋め込まれています。台柄(長さ2m15p、幅12p、高さ15p)に支点となる軸を付けて、片方の端に直径10pの杵を付け、もう一方の端を片足で踏んでシーソーのように上下をさせていました。臼には5升ほどの玄米が入り、20〜30分ほど搗いて白米にしました。(身体を支えるための握り棒は失われています)
唐臼の脇にはばったり床几(しようぎ)があります。京田辺市大住の重要文化財澤井家住宅主屋の土間でも、唐臼と床几の配置は伊佐家と同じようになっていて、興味深いものがあります。
石臼(写真上堰jは、地上25pに据え付けられたもので、上臼の直径24p、厚み12p、穀物を入れる直径4・5pの穴があり、側面には挽き木を差し入れる穴が2カ所にあります。下臼は厚み12pで、臼の下部を皿状にのばし、粉受けと注ぎ口が造り出されています。この石臼は自家製の味噌を使う前に、形が残っている大豆を磨り潰したり、あんこを作るときに使ったもので、汁気のあるものを挽く場合に使ったといいます。液汁(えきじゆう)を受ける容器を注ぎ口に置くための高さが取ってあります。
石臼(写真上)は直径36p、上臼の厚み23p、下臼の厚み20p。上臼の上部は深さ6pほど掘りくぼめられ、穀物が1升ほど入ります。粉を作るときに使った臼です。
唐臼は昭和30年代初めに対岸の上津屋に製粉業者が出来たので使わなくなったといい、その他の臼も次第に使われなくなりました。

▲唐臼とばったり床几
資料提供:京都府立山城郷土資料館