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近世後期の木津浜「木津船中奉納絵馬」より
(御霊神社蔵、写真提供・京都府立山城郷土資料館)
【木津舩中が奉納した絵馬】
「木の津」とか「泉津」とか呼ばれてきた木津は、古くから交通の要衝であった。その木津浜の近世後期の様子を細かく描いた絵馬が、木津町木津の御霊神社に残されている。上部に「奉掛御寶前」、右側に「文政11子年(1828)11月朔日」、左下に「木津舩中」と墨書きがある。
絵馬は南から北に向かって、畑があり、堤に仕切られて、浜がある。木津川は北側を流れ、堤の向こうに泉橋寺や上狛村の集落が見える。当時の景観をそのまま描いたのだろう。
【木津川をゆく 船 渡し舟 筏 浜の人びと】
浜で帆を降ろしている5艘(そう)の船の1艘からは、浜へ板をかけて、俵のようなものを馬の背に乗せようとしている。下流から上がってきた船だろう。
近世の木津川では、各浜に自由に出入して荷物を積み、降ろし、大坂に直行できる「淀二十石船」と、笠置、加茂、瓶原(みかのはら)、木津、吐師(はぜ)、一口(いもあらい)の六ヵ浜からの積み出しだけに限られ、しかも淀川には入れない「六ヵ浜上荷船」が行き交っていた。両者の権利に大きな差があり、対立も争論もおこった。
5艘のうちの1艘は確かに淀船だが、その他はよく分からない。
木柴(きしば)を積んで上流から浜についた2艘、さらに下る2艘がある。船頭が乗っている。笠置や加茂、瓶原から積み出された木柴は、遠くは伏見まで運ばれた。木津と上狛を結ぶ渡し舟もみえる。人に交じって馬も乗っている。2連の材木筏(いかだ)もどこまで行くのだろうか。人を運ぶ屋形船もある。
浜では、馬の背に荷物を積んで出発する馬方、おうこ(天秤棒)で前後に木柴を担いでいる人、背に荷物をつけている人、魚をとる打ち網を背負っている人、宿の部屋で談笑している人など、人も馬も生き生きと描かれている。
上狛の浜にも船が繋(つな)がれていて、川面に打ちこんだ杭の列も見える。「千本杭」などと呼ばれた、水流を弱める仕掛けである。
【木津は陸路と水路の接点だった】
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昔の木津浜に向かう今日の風景。
左側に「愛宕燈籠」右側に「川喜」の店がある。
堤の上の道を南北に人が歩いている。京と奈良を結ぶ大和街道は、村々のなかを通らないで、木津川堤や田畑の間を、まっすぐ通るような道がつくられてきた。南へは、木津川を渡し舟で渡り、「本町通り」を南北に貫通し、市坂と奈良坂を越えた。
木津は木津川水運の拠点であり、同時に街道の要地でもあった。文書記録はたくさん残されているが、目にみえる情景は、この絵馬1枚しかない。だから、木津川水運を考える基本的資料の1つとなっている。
これは170数年前の風景だから、今はもうほとんど見られないが、2つだけ絵馬の風景に繋がるものがある。
奈良へ向かう街道の右にある「愛宕山」の「永代常夜燈」は「天明4甲辰(きのえたつ)(1784)年中冬」に「郷中」によって建立されたものである。少し場所は変わっているが、現在も建っている。
もう1つ、絵の下右端に「木津宿」の船宿の1つ「河(川)口屋喜八」の店が描かれている。今も料亭「川喜」として賑わっているのも楽しい。
※
木津町史史料篇2、けいはんな風土記、京都府立総合資料館「資料館紀要」第16号を参考にし、京都府城郷土資料館田中淳一郎さん、木津町教育委員会松木秀人さんのご協力をいただきました。
■著者プロフィール■
昭和7年生まれ
38年間、山城地域の小・中学校に勤め、現在、城南郷土史研究会 代表。
山背古道探検隊長。
「木津町史」、「山城町史」などの町村史と「京都府の地名」(平凡社)、「山城国一揆」(東大出版会)、「けいはんな風土記」(同朋社)などの編集や執筆に加わってきた。
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