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原山の煎茶園から和束町中心部を望む
(写真提供・京都府立山城郷土資料館)
今から30年前、音楽の教師であった板倉泰朗さんとともに、何度となく和束町杣田を訪れた。「杣田寿クラブ」の皆さんが、もう歌われなくなった「生活のうた」を記録して次世代に伝える作業をしておられるのを手伝うためであった。何回となく集まって歌い、録音する人たちは、明治21(1888)年から同42(1909)年生まれの12人の方々だった。
【茶仕事、農作業のうた】
和束は茶どころであり、古くからの煎茶の生産地である。仕事のうたは、茶摘から茶よりに至る、茶に関するうたが5曲、ほかのうた3曲が伝えられていた。
『ハアー 茶山で囲んだ和束やけれど
ヨイショ お茶が取り持つ縁結び
アー和束やけれど
お茶が取り持つ縁結び』
大勢の摘み子は、手元は忙しいが、口はひまだった。あいの手と繰り返しの部分は、1人のうたを受けて、みんなで歌った。茶摘みは大正期の終わりごろから、手からハサミに変わってきた。
茶仕事がひとしきり済むと、麦を収穫する家々では夜なべ(夜業)で麦を搗いた。石の唐臼に長い棹のついた杵を足で踏んで搗いた。唐臼に水を入れて搗き、乾かすことを3度重ねてぬかを抜く。麦搗きは、夏の夜の若衆と娘の楽しみであり、社交場でもあった。娘同士も、毎晩順番に家をまわり、そこへ若衆も手伝いに来る。うたを歌って働きながらあそび、あそびながら働いた。
『アーヤレヨ こら搗いてくれんかてきてさえくれりゃよ
コラショ あなた背にしてわしが搗くよ コラショ
きてさえくれりゃよ あなた背にしてわしが搗くよ コラショ』
【てまりうたの記憶も鮮やかだった】
伸びやかなてまりうたの記憶も鮮明であった。7曲が思い出された。
『名古屋の城は高い城や 1段上がりてうわしき見れば よういよい子が3人ずれで
1でよいのは糸屋の娘 2でよいのは荷売屋の娘 3でよいのは酒屋の娘 酒屋の娘がうろうろうろと 油とろとろしんとろとろと5尺のもってんきりきりとまいて しもへしもへと花見にゆけば しもの若い衆に抱きとめられて はなしゃれ 切らしゃれ 帯切らしゃんな 帯の切れたん何にもならん 襟の切れたんつながれん つながれん 』
ことばのつながりの楽しいこのてまりうたは、江戸後期には各地で歌われていたが、地域によってそのいいまわしの違いと重なりがみられた。明治中期にはゴムまりが輸入されるようになったが、ここ和束の人たちの娘時代はまだまだ糸てまりと風船てまりの時代であった。てまりは母や祖母が作ってくれた。うたは「なんど(おやつ)のかわりや」などといわれて教えられた。
【長く現役だったねんねころいち】
おばあさんたちが、最も長く歌い続けてきたうたは、幼いころからなじんできた子守りうたであった。このうたも、京や山城などで、江戸時代から広く歌われてきたものだったが、「ほんまにようねよる。ねむいうた」だと皆さんはいっていた。「おばあちゃんは念仏いうて子守りする」と孫がいう。
「ねんねころいち」は、今も歌い継がれているだろうか。
生活や生産様式が激変した日本の社会では、もう「生活のうた」は歌われなくなってしまった。京都府教育委員会は、1983(昭58)年、「京都府の民謡 民謡緊急調査報告書」をまとめて出版し、1992(平4)年には「CD京都府の民謡」を各方面に実費で頒布された。
※
城南郷土史研究会「やましろ」10・11・12・13号を参考にし、京都府立山城郷土資料館横出洋二さんのご協力をいただきました
■著者プロフィール■
昭和7年生まれ
38年間、山城地域の小・中学校に勤め、現在、城南郷土史研究会 代表。
山背古道探検隊長。
「木津町史」、「山城町史」などの町村史と「京都府の地名」(平凡社)、「山城国一揆」(東大出版会)、「けいはんな風土記」(同朋社)などの編集や執筆に加わってきた。
■バックナンバー■
【伝えたい宇治茶】
G茶の機能性(カテキン類)について
E碾茶(抹茶原葉)の合組
F緑茶の機能性(テアニン)
D宇治茶の新たな躍進
C宇治茶を支えた品種
B茶園景観のかたち
A全国茶品評会の開催
@90年前の宇治茶スイーツ
【やましろ昔話】
K炭山の田植地蔵さん
E北稲八間の年越し
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H寒がり天狗
B嫁盗り地蔵
G田辺の送り竹
A紙鯉
Fころ柿
@踊るきつね
【なつかしの道具とその周辺】
K田植えの農具
E千歯扱き ―収穫の農具(1)―
J麦の収穫
Dサツマイモの収農具
Iみずぐるま
C水田除草用具の移り変わり(2)
H唐臼、石臼
B水田除草用具の移り変わり(1)
G唐 箕 ―収穫の農具(3)―
A祝園の居籠祭に用いられる犂
F収唐 箕 ―収穫の農具(2)―
@祈りの農具
【やましろ昔話】
K風に舞った花嫁衣裳
E夢絃峡
J夜桜ぎつね
D狛犬の結び糸
Iお亀さん
C寺田いも
Hきつねのお礼
Bお姫ヶ池
Gいたずら天狗
A蛍合戦
Fお正月飾りと福の神
@雨乞い
【山城地域の絶滅危惧植物を追う】
K石持草(イシモチソウ)
E撫子(ナデシコ)
J猫目草(ネコノメソウ)
D桔梗(キキョウ)
I猫目草(ネコノメソウ)
C連理草(レンリソウ)
H寒枯藺(カンガレイ)
B狸藻(タヌキモ)
G藤袴(フジバカマ)
A未草(ヒツジグサ)
F女郎花(オミナエシ)
@翁草(オキナグサ)
【再光の大地】
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J終焉
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G新風が運ぶ自断権
A三十六星
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@県祭りと山城国一揆
【南山城文学散歩】
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J上田三四二と青谷
D笠置山と文学
I文人憧れの地 月ヶ瀬梅渓
C五里五里の里 城陽
H青谷梅林の歴史と詩歌
B古典文学の宝庫井手(2)
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A古典文学の宝庫井手(1)
F現代の桃源郷 南山城村
@木津川と泉橋
【風土記】
I母なる川 木津川
D小野小町伝説と井手
H二宮忠八と飛行神社
C富本銭と和同開珎
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@市坂の念仏石
【南山城 歴史のなかのひとびと】
K和束で出会った『生活のうた』
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G農作を折る居籠(いごもり)祭り
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@平野の勧心猿楽
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