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▲青谷療養所時代の上田三四二
上田三四二は、文学史上、戦後日本を代表する歌人の1人であり、評論・小説の分野でも活躍した人です。その評論が、入試問題にしばしば出題されることでも、私達には馴染(なじ)みの深い歌人です。
上田三四二と言えばまた、44歳で結腸癌(けっちょうがん)を患(わずら)い、それが生涯の転機となった歌人としても知られます。死の病から救われた彼は、「存命の喜び」をかみしめ、一方「再発の不安」に恐れつつ、日々を深く生きてゆきました。「たまものの生」を惜しみ、自然や人に触れ、精神を浄化(じょうか)してゆくかのような彼の作品は、多くの人々の心を打ちました。歌集『涌井(わくい)』『照径(しょうけい)』・小説『深んど』『祝婚』などの作品があります。
上田三四二と青谷
上田三四二は、昭和27年から36年まで、30代のほぼ全てを、久世郡城陽町青谷で過ごしました。国立京都療養所の医師として勤務し、その官舎に住んだ為です。
青谷赴任以前の三四二は、「学究的な医師」となるべく勤務と研究に刻苦(こつく)し、その上生活の資を得る為に夜間高校に勤務するという、苦しい生活を送っていました。しかし、血痰(けつたん)を見たため断念。いわば挫折の結果として青谷の療養所に赴任したのです。
しかし、青谷での環境は、三四二に幸いしました。平穏(へいおん)で比較的閑暇(かんか)に恵まれた日々の中で、彼は以前から始めていた作歌に熱中し、やがてそれが中央の歌壇にも認められてゆきました。昭和30年歌集『黙契(もつけい)』出版。そうして昭和36年、彼の評論と小説が『群像』新人文学賞最優秀作に同時に入選し、三四二は文学を生涯のはかりごととする決意を固めたのです。
こうしてみると、歌人上田三四二は、青谷で誕生したと言って過言でないでしょう。
上田三四二青谷の歌
三四二の青谷の歌は、百首余りありますが、その中からほんの数首紹介しましょう。
@しづかなる生(いき)をねがひて秋づける 山々息(いこ)ふ青谷に来ぬ
青谷赴任の時の歌。何かほっとしたような、安らぎの気持ちが感じられます。それは、今までの苦しい生活から逃れられた、安堵(あんど)の思いででもあったでしょうか。
A満ちみちて梅咲ける野の見えわたる 高丘は吹く風が匂ひつ
青谷梅林を詠んだ歌。昭和28年の詠であると思います。当時の青谷の、広々とした梅林の様子が見事に表現されています。「高丘」は、療養所の北西にある天山(てんやま)の頂上でしょうか。平成14年、有志の方々によって、JR青谷駅前にこの歌の歌碑が建てられました。
B湧く霧は木のかをりして月の夜の 製材所の道をわが通りをり
C山坂をくだり来しとき村里に 立つ教会に入日さしゐき
私達のよく知る景色が歌われています。BはJR青谷駅近くの製材所、Cは青谷小学校横の教会を歌ったものでしょう。
また、小説では、『木草の宿』『稲妻』『遁れぬ客』などに、三四二の青谷時代が伺われます。
▲療養所の官舎の近くで
晩年の青谷回想
医学から文学への転換の地となった青谷は、上田三四二にとって生涯忘れがたい処となったようです。後年三四二は、次のように回想しています。
「療養所の中には歌をつくる人も多く、その環境は楽しかった。晩学の私が曲がりなりにも歌人になることができたのは、そこ…国立京都療養所における10年の生活があったからだ、と思い当たる。」(『わが来し方』)
上田三四二60歳の時の歌集『遊行(ゆぎょう)』の一首、
D梅の咲くサナトリウムみゆ恋ほしさの 時間の綱を引けば開(ひら)けて
この歌には、上田三四二の青谷に対する、限りない懐旧(かいきゅう)の情が、込められています。
■著者プロフィール■
小西 亘(こにし わたる)
1958年、南山城村に生まれる。82年より京都府立高校に勤務。現在府立南陽高校国語科教諭。『注釈青谷絶賞』『「月瀬記勝」梅蹊遊記訳注』執筆。
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