初夏の夜といえば、古くから蛍が親しまれてきましたな。かつては宇治川にも、ぎょうさんの蛍が乱舞(らんぶ)しておったのですが、近ごろはとんと、姿を見んようになってしまいました。その蛍にまつわるこんな話が伝わっておりますのや。
昔、都で平家と源氏が争っていたときの事ですわ。宇治川辺りでも、平家の赤旗、源氏の白旗が入り乱れて、激しい合戦があったのですが、結局平家が勝ったんです。
敗れた源氏は国のあちこちに散らばって、ひっそりと暮らしていたんやそうです。
勝った平家は、都で栄華をひとり占めしておったんですが、だんだんと横暴になって、ずいぶんと悪行を重ねるようになってしまいましたんや。
こんな平家一門は倒さなあかんと、源頼政(みなもとのよりまさ)が、似仁王(もちひとおう)と共に国中の源氏によびかけましたんや。
そんなわけで、また平家と源氏の戦(いくさ)が始まってしまったのです。とりわけ宇治橋での戦いはすさまじいものやったそうですわ。矢に射抜かれた者、刀で切られた人、深みにはまって馬ともども溺れた者など、武者たちの屍(しかばね)が累々と重なり合って、川の水も真っ赤に染まるほどやったと、いわれています。
源頼政も、もはやこれまで、と思わはって、平等院(びょうどういん)で自害してしまいましたんや。
源氏方はまたもや敗れ去ったんです。
いつのころか、夏間近の夕暮れ時になると、宇治川では、蛍の姿が見られるようになりました。
水草の間から飛び立った二、三の蛍が川面に淡い光を映しますんや。そのうちおびただしい蛍が現れて、蛍火が縦横に交じり合い激しい光の渦になっていったんやそうです。
旧暦の5月16日は、頼政が平等院で無念の最期(さいご)をとげた日だそうですわ。その夜に現れる無数の蛍は頼政や源氏の武者たちの亡魂(ぼうこん)が、あたかも平家に戦いを挑んでいるかのように、低空で乱舞しますんや。
これが「宇治の蛍合戦」と評判になりまして、浴衣姿で蛍狩りを楽しみましたんや。
「源氏蛍」とよばれているのも、こんなことからですやろうな。