昔むかし、大和の男前と名張のべっぴんがひとめぼれしたんや。男は絃之丞と言う国司で、女は夢姫といって郡司の娘やった。ところが娘のおやじさんが大反対でな。
それというのも、男は大和朝廷の命を受けて赴任した国司やが、娘のおやじさんは、代々名張の有力者で、内心「大和の若造が」と思っておったんや。
そこへ、国司から娘を嫁にもらいたいと、使者を送ってきたが、返事は後日といって、早々につかいの者をかえすと、おやじさんは「大和の男なんぞに、大事な娘をやれるか」とどなりちらした。
「私をあの方のもとへやって…」と泣いてせがむ娘をなだめすかし、国司には、「娘は不治の病です」と断ってしまったんや。
そのうち娘が男恋しさに、本当に病にたおれてな。心配したおやじさんがあっちこっちの名医に診せたが、いっこうに、はかいかん。
「このままではお姫様のお命が…。国司さまとの仲をお許しになってはいかがでしょう」と侍女がないてたのんだが、がんとしてとりあわんかったんや。
最後の手段やと、侍女が手引きして、内緒で二人をあわせてな。変わりはてた娘を、しっかりと、だきよせ、男が「そなたを見て、やっと決心がついた。何もかも捨てて、二人だけでひっそりと暮らそう」といい、娘もそっとうなずいた。
「姫様を、いま、動かしてはあぶのうございます」と止める侍女をふりきり娘を背負って逃げ出したんや。
やっと南山城村に入った所で、二人は一歩もうごけんようになってな、娘が助からないとわかった男は、この世で結ばれないならばあの世でと、抱き合ったまま木津川に身を投げたんや。
二人が身投げした場所は、伊賀川と名張川が合流して、木津川となって静かに始まるところでな、水面はいつも、二人の心をなぐさめるかのように深く澄んでいた。
村の人は、いつの頃(ころ)からかここを夢姫、絃之丞という二人の名をとって「夢絃峡」と呼ぶようになったんや。