京都の笠置と奈良の柳生とは、ほんに近い所なので、むかしから柳生街道と呼ばれる道を多くの人が行き来していてな、それで縁組も多かったのや。
柳生から笠置に入る、ちょうど境の山側に大きな岩があってな、その岩には、可愛らしい可愛らしい地蔵さんが彫られておった。嫁入り行列も、その地蔵さんの前を通ってたのや。
ところがその前を通って、嫁に行ったり来たりした者は、つれあいが早うに死んでしもたり、離縁する者が多かってな。可愛らしい地蔵さんは、いつの頃からか「嫁盗り地蔵」と呼ばれ、婚礼の時はだれもその前を通らんようになったのや。
お地蔵さんは、男で独り者でっしゃろ。きれいな花嫁さんを見たら、やきもちをやかはったのかもしれんな。ほんの目と鼻の先やのに、奈良の狭川の方からぐるっと遠まわりせんとあかんのや。そりゃもう時間もかかるし、花嫁衣裳を着た娘さんにとっても、大変しんどいことやった。
あるとき、一人の元気のいい娘さんが、笠置へ嫁入りすることになった。皆が「嫁盗り地蔵」の前を通らんで、ぐるっと遠回りしようというときに、「そんなんぜったい迷信やわ。うちは通ったる」て、言い出さはったんや。「あんた、何てこと言いますのや。縁起でもないことを・・・もしもの事があったらどないします」
親御さんがびっくりして止めたけど、なかなか頑固で、言い出したらきかはれへん。とうとう根負けしてしまわはった。
その嫁入り行列がお地蔵さんに近づいた時のことや。なんぼなんでも、白い綿ぼうしかぶったままでは、お地蔵さんにすぐわかるし、どうしたもんかと、やきもきしておったところ、親戚の一人が、「そや、嫁さんかどうか、わからんかったらええんや」て、言わはった。そこで、嫌がる嫁さんに、嫁入り道具を包んでいた大きな風呂敷をすっぽりかぶせて、それこそ男か女かもわからんようにして通らはったんや。そのおかげかどうか、その嫁さんは、夫婦仲よう九十近くまで生きはったんやて。
(笠置町)/ 宇治民話の会

奈良県奈良市柳生町から笠置町へ向かう途中の県境残念ながらお地蔵様は現存していないそうです