むかし、山寺に年老いた坊さんが、一人住んでおりました。
訪れる人もめったになく、毎日毎日、日の出とともに起きだして朝のお勤めをし、日が暮れるとともに夜のお勤めをしていました。
たまに、のら猫が紛れ込んでくると、「地蔵堂の横のじいさんは元気か、しもた屋の娘はもう子どもが生まれたか」などと、里のうわさを聞いておりました。
木枯らしの吹くある夜のことでした。夜のお勤めが終わって、坊さんが庫裏(くり・寺の台所)に入ると、火鉢の前に誰やら座っておりました。「ははーん、鷲峰山(じゅうぶざん)の天狗やな、このぶんでは、今夜あたり山では吹雪いておるんやろ。それにしても今年はずいぶん、はようやって来たもんや」
坊さんは、さっそく物置に行くと俵の中の大きな炭を、山盛り炭入れに移しました。
火鉢の前では、天狗が火鉢を抱え込むようにして座って、埋め火を掘り起こしておりました。
坊さんが火箸(ひばし)で、新しい炭をその上についでやると、天狗は、大きくうなずきかえしました。髪も、鼻も濡れそぼって、手はかじかんでいるようでした。
やがて、部屋の中がほんのりぬくうなって、坊さんはコックリコックリ舟をこぎ始めました。つられて天狗も、コックリコックリ。炭火の中に長い鼻をつっこみそうになって、おどろいて目を覚ましておりました。「ぼつぼつわしは寝るとしようか、すまんが、火の始末して帰ってや」
襖(ふすま)を開けたとたんに冷たい風が首筋にすーっときて、天狗は身震いをし、またまた火鉢を抱え込みました。襖の向こうからは、すぐに坊さんの静かな寝息が聞こえてきました。次の朝早く、坊さんが起きてみると、火鉢はまだほのかにぬくうて、中の灰はきれいにならしてありました。「ははーん、ついさっきまでいたんやな」
やがて坊さんの木魚(もくぎよ)をたたく音がポクポクと鷲峰山までかけのぼっていきました。
鷲峰山は奇峰が多く修験道の山として有名でした。里人は人間離れした修行をつむ行者を天狗と見間違えることもあったようです。