
よしずと稲わらによる伝統的な本ず被覆 |
省力的な黒色化繊二段被覆 |
4〜5月に宇治地方で見られる覆下栽培は、全国の茶産地の中でも独特の景観をつくりだしています。このように茶園に覆いをする栽培方法はいつごろからはじめられたのでしょうか。
覆下栽培は宇治で発明されたものであり、16世紀後半頃に始まったと推察されています。このころ来日したポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリーゲスはその著書「日本教会史」の中で覆下栽培について記述しています。
「茶の新芽は、非常に柔らかく繊細で極度に滑らかで、霜にあえばしぼみやすく、害をこうむるので、主要な栽培地である宇治の広邑(ヴィーラ)では、この茶の作られる茶園なり畑なりでその上に棚をつくり、葦あしか藁わらかの蓆むしろで囲い、二月から新芽の出はじめる頃まで、すなわち三月の末まで霜にあって害を受けることのないようにする」※
もともとは霜の害から茶の新芽を守るため始まった覆下栽培ですが、遮光により茶葉が鮮やかな濃緑色となるとともに、そこでつくられた茶が強い旨味と独特の香味を備えていたことから、良質茶を生産するために積極的に行われるようになりました。この技術が抹茶や玉露など今日見られる高品質な宇治茶の誕生につながっています。
現在では、よしずと稲わらを用いる伝統的な「本ず被覆」だけではなく、黒色化学繊維を用いた省力的な被覆も広く普及しています。中でも昭和46 年に京都府立茶業研究所で開発された黒色化繊二段被覆は古くから伝わる「簀す 下した十日、藁わら下した十日」の段階遮光を現代に置きかえたものであり、高品質茶生産に貢献しています。このように宇治茶の覆下栽培技術は伝統的な本ず被覆を「お手本」として、発展を続けています。
※広邑−現在の村
また、ここに記された二月、三月は旧暦である。